改築について
rebuilding
三津寺が新しくなります

2020年1月より解体が始まった
三津寺の大改築工事ですが約4年の時を経て、
いよいよ2023年11月26日に完成いたします。
本プロジェクトがスタートする前、三津寺は昭和8年に立てられた鉄筋庫裡の老朽化と如何にして文化5年(1808年)の江戸期に建てられた大阪市内では珍しい第二次世界大戦の戦果を免れた木造本堂を次の100年につなげるかということに頭を悩ませておりました。
特に本堂は、堂内天井に描かれた100を超える色とりどりの花卉(かき)図や、漆や金箔・色絵で彩られた柱や彫刻など、豪華絢爛な江戸美術の荘厳が残っており、その維持に大変費用がかかるのですがいつまでも檀信徒の皆様への寄進のみに頼る時代でもないと感じておりました。
そんな中、東京建物株式会社様とご縁をいただき、今回の三津寺大改築プロジェクトはスタートしました。新しい建物は東京建物様のノウハウをお借りすることで、お寺としての役割をしっかりと残しながらも、余ったスペースをうまく活用して本堂の維持管理費用を捻出するだけでなく、施工いただく大成建設株式会社様の知恵と技術により、既存の本堂をほぼそのままの状態で次の世代に残します。
さらに、「光り輝く」という仏教とも親和性の高いコンセプトをお持ちの株式会社 カンデオ・ホスピタリティ・マネジメント様の素晴らしいホテルがテナントとして加わってくださったことにより、今後の三津寺の活動としても大きな可能性が生まれてきております。今回の改築工事を機に三津寺の境内は御堂筋側からのアプローチを設けます。偶然にも御堂筋も歩道が広がり滞在空間としての価値を高めようとしており、三津寺としましても、地域とお寺、ホテルを繋ぐ境内に足を踏み入れた方々が、少しでも仏教文化や美術・歴史を体感し、信仰心を持つことで、心豊かに生きられますよう、様々な取り組みをおこなっていきたいと考えております。
三津寺とは?

七宝山 大福院 三津寺(しっぽうざん だいふくいん みつてら)は、応神天皇を葬り奉った御墓所として、奈良時代の名僧・行基菩薩が楠を植えたのを始まりとし、のちに聖武天皇の勅命によって天平16年(744年)に行基菩薩が十一面観世音菩薩を安置した本堂を創建したことをもって開山とされています。また、七宝山という山号は、小松宮さまがお寺をご訪問された際に下賜されたものであります。
現在の本堂は、徳川時代末期 文化5年(1808年)に再建された建物であり、本尊の十一面観世音菩薩が中央に、脇には薬師如来・弘法大師が安置されています。この本堂は、昭和20年のB29による大空襲によって大阪市内が一面焼け野原と化したにもかかわらず、本尊の加護厚く、被弾はおろか、類焼さえも免れました。
三津寺の南東約徒歩5分の千日前には、松林庵(三津寺千日前墓地)があります。ここには、道頓堀を開削したとされる安井道頓や、浄瑠璃「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)で有名な三勝・半七の供養塔など、船場の著名商人や上方芸人の墓碑が数多く祀られていて、年中香煙の絶える間がありません。
三津寺筋というと大阪ミナミを代表する日本有数の歓楽街ですが、その中にあって別世界のような幽玄さ・閑静さを感じさせる三津寺は、「ミナミの観音さん」「みってらさん」の愛称で都会に住む人々に親しまれております。
ご挨拶
三津寺の御本尊は「十一面観世音菩薩」です。
「十一面観世音菩薩」は、あらゆる災難困難から人々を救うという請願を持っている仏様で十一の顔が頭の周りについており360度我々が何処にいても見守って頂けると言われています。
逆に考えれば、皆様が十一面観世音菩薩の慈悲のお導きによりこのホームページにたどり着いたと言えるかもしれません。
真言密教では、仏様との出会いによって得る功徳を5色にたとえています。
5色とは、
- 青色(しょうしき)悪しきものを抑えること
- 黄色(おうしき)自分を失わず幸福ををもたらす
- 赤色(しゃくしき)慈愛の心で友情良縁をもたらす
- 黒色(こくしき)迷いがなくなり
進むべき道が開かれる心境 - 白色(びゃくしき)困難災難を克服する
三津寺のホームページにたどり着いた皆様は、本尊「十一面観世音菩薩」と5色の糸で結ばれたと考えます。どうぞ、三津寺落慶特別参拝にご参加いただき、5色のこころを体得していただければと思います。
三津寺住職 加賀哲郎